2012年1月7日土曜日

ついつ


 一ノ瀬 健太 
取洗50結局、予備校出たばかりのお嬢ちゃんにはアートなんて無理なんだよ。窓際で黙ってつつがなく、喰うて、糞して、寝て起きて、クソつまんない卒論書いて、アートの現場の外野を本場と勘違いしてフェンスの外から一生ブーブー言ってな!フィールドには入ってこないでくれよ。目障りなだけだから。
 一ノ瀬 健太 
明日のことはわかんない。
 一ノ瀬 健太 
[取手洗48]この企画、トイレプロジェクトに協力するか否かは踏み絵ではない。けれども、この企画に参加しなかったという事実はしっかりと歴史に残る。この企画に参加しなかったこと、そして参加したという事実が後の人生にしっかりと影響をもたらすのは間違いない。吉と出るか、凶とでるか、
 一ノ瀬 健太 
相手を信じてみよう!
 一ノ瀬 健太 
どうせイイ子ちゃんだから。どうせ女だから。どうせ言ったってわかんないから。そう決めつけることなくやってきたつもりだったが、心のどこかで遠慮があったかもしれない。そう思って今まで衝突を恐れてきたのかもしれない。もっともっと激しくぶつかっていこう!真実を叩きつけて嫌われて行こう!
 一ノ瀬 健太 
はやぶさに自身の達成感を刺激されたのなら、それは自分が日本人ってことになるんだよな。アームストロングの一歩に人類、世界市民として感じる達成感と、アメリカ国民として感じる達成感とアームストロングの家族と彼に近しい者、そしてアームストロング自身の感じる達成感との大いなる違い。絆の深さ
 一ノ瀬 健太 
はやぶさ凄し!神風がまた吹いた。
 一ノ瀬 健太 
生きろ!そなたは美しい!
 一ノ瀬 健太 
yuruyuruyuruuちゃん!Thank you!自己を表現するに決してためらわぬ者こそ真に“アート・ワールド”に必要なのだ!自己を表現するにためらう者は、黙って“アート・ワールド”から去りな!
 一ノ瀬 健太 
[取手洗47]それができぬものは美に仕える資格はない。そんな奴等は偽物のクーリエだ。もう一回一から勉強しなおせや!なんなら俺が講義してやってもいい!!!まったくアッシジの聖フランチェスコの祈りだよ!愛がない!愛がないぜ!!!
 一ノ瀬 健太 
[取手洗46]ただダメなのではなく、もっと詳しい理由を教えてもらいたい。納得のいく説明がなされれば私は豹変する。君子のように。納得いく説明もないのにただダメだというのでは、藝術を真剣に学ぶ学生に対して失礼だ。そんな違和感を突きつめていくのがアートっしょ!
 一ノ瀬 健太 
[取手洗45]近代の超克は“エゴイズム”の超克である。その先にあるのは“神の国”であり、イーハトーブであり、ユートピアである。藝術がその先端を走る。走らねばならない。藝術家はいつの世も時代を映す鑑であり炭鉱のカナリアでなければならない。天才は理解されるのに時間がかかるのかしらん。
 一ノ瀬 健太 
[取手洗44]藝術史を学べば、今学ばれているのは常に物議を醸してきた藝術作品の歴史であるというのは自明だ。まして近代になればなおさらである。真に自己に忠実であることは難しいが、目下の美術史は真に自己に忠実であった者たちの歴史である。造形藝術か否かを問わず。
 一ノ瀬 健太 
[取手洗43]認めたくないものだな。自分自身の“エゴイズム”故の過ちというものを!
 一ノ瀬 健太 
自分が常にイイ子ちゃんでいたいんだろうな。常に善人でいたいんだろうな。
 一ノ瀬 健太 
[取手洗42]そんなイイ子ちゃんほど利害が絡んだ時に豹変する。それはあたかも戦場の兵士のように、心の先生のように、受験や、就活の時の他のものを蹴落とそうと躍起になる“穢”くて“醜”い者のように。やっぱり見つめたくないんだろうな。自分の“エゴイズム”を。
 一ノ瀬 健太 
自分が全力を尽くしたものが客観的か恣意的かによって評価される現実。今までどれだけの時間をかけたか、どれだけの念いを込めたかといったことは突き付けられた結果の前では一切が言い訳になる現実。厳しい現実。天地不仁。現実から目を背けてひとりだけイイ子ちゃんになろうとしてるとしか思えない。
 一ノ瀬 健太 
[取手洗41]藝術史を学べば、今学ばれているのは常に物議を醸してきた藝術作品の歴史であるというのは自明だ。まして近代になればなおさらである。真に自己に忠実であることは難しいが、目下の美術史は真に自己に忠実であった者たちの歴史である。造形藝術か否かを問わず。
 一ノ瀬 健太 
いったい藝術学科はなにを恐れているのだろうか?
 一ノ瀬 健太 
[取手洗40]ここで問題となってくるのは、芸大の学内ではどうしてやれないのかということだ。当座の理由としてはなにか問題があった時に、ひとりの学生の肩書では責任がとれないからだという。いったい問題とはなんであろうか?その問題とは何なのか具体的に挙げてみてほしい。
 一ノ瀬 健太 
[取手洗39]学科会議にかけられた結果、成績開示をそのまま添付することは認められなかった。私自身が一個人として、どこかの会場で展示する分にはかまわないが、それが学内になると話は別になってくるとのことだった。一個人としての展示が認められるのは近代自然法として当たり前のことであって、
 一ノ瀬 健太 
工房棟三階でデザイン科一年生の共感覚をテーマにした本の展示を見た。これ、もう売れるんじゃないか?という作品が多数あってビックリ!頭スカスカの実技、うんちしか描けない芸学という言葉もあるくらいだが、そんな言葉はどっかに吹っ飛んだ!デザ科一年恐るべし!
 一ノ瀬 健太 
[写5]ぼくは自分が美しいと思ったもの以外は撮りません。自分が被写体とするのは美しいものだけです。撮られる当人がコンプレックスを感じていようがいまいが知ったこっちゃありません。ぼくにとっては美しいのです。目利きであるぼくが美しいというんだから被写体の方はもっと自信もってええよん!
 一ノ瀬 健太 
[写真4]見ず知らずの人を撮る。面と向かって。拒否されることも多々ある。しかしそれを恐れているうちはいい写真なんて撮れるわけがない。全ての藝術は“神”と人とをつなぐメディアとなることだという確信が俺にはある。無私を掴む者だけが、限りなく透明な自己を得る。これに間違いはないはずだ。
 一ノ瀬 健太 
[写真3]風景ばかり撮っていてもちっとも面白くない。もっとも興味魅かれる対象はやっぱり人だ。その中でもやっぱり人の顔が撮っていて一番面白い。アラーキーが言っていたことがリアルに肌で実感できた。彼の真理と俺の真理は全く同じ。実践してくることで見えてくるものがある。世界がある。
 一ノ瀬 健太 
[写真2]飯沢耕太郎さんに写真を見てもらった。激賞されると当時に、プリントの技術を磨けとお灸も据えられた。プロの目は厳しい。妥協を許さない。そんな彼にベストショットがほめられてうれしかったなぁ。自分を捨てる技術はポジティブな意味で才能だと言われた。うんうん。
 一ノ瀬 健太 
【一ノ瀬健太】を日本語に翻訳すると【救世主】という意味になります。 あってる?
 一ノ瀬 健太 
[受験10]AKBに宇宙一もっとも近い国立大学!これで銘打てば志願者が例年の1.4倍近くにはなるんじゃないか?
 一ノ瀬 健太 
7か月ぶりのお茶漬け、小津のお茶漬けの味なみに沁みる。
 一ノ瀬 健太 
上京して7か月、はじめてご飯を炊いた。うまうま。ほくほく。半額のスーパー弁当だけで今までよくがんばったな。うん。うん。長期的視野に立って見ると、経済的にも、食の多様性的にもこっちのほうが余っ程よかった。節約も大事だが、長期的視野に立脚するほうがもっと大切だ。
 一ノ瀬 健太 
樹(たつる)、しみる。
 一ノ瀬 健太 
@ 
 今、君は実に哲学している。それこそが本物の哲学だ!
 一ノ瀬 健太 
ウルトラマン、凄すぎる!!!人間の“業”をあそこまで巧みに描けるなんて!!!ぼくたちは、創るからには、そんな遺産を乗り越えていかなきゃあならないんだな!!!うん!よっしゃ!やったるで!
 一ノ瀬 健太 
卒論、とりあえず完成なう!
 一ノ瀬 健太 
宣言!自分を追い込む!今日卒論完成させるナウ!
 一ノ瀬 健太 
おはようマタイ受難曲!
 一ノ瀬 健太 
東大仏文に一ノ瀬ありナウ!
 一ノ瀬 健太 
百合の香の何とも麗しき、いとよろし。
 一ノ瀬 健太 
[ジャーナリズム5]どんな情報も最終的には、その情報を公開する権限を持つ者の判断に委ねられる。ウィキリークスにはウィキリークスの責任者がいて、大マスコミには、大マスコミの責任者がいる。内部者には、内部者の良心がある。なんだかんだで、やっぱり最後は痩せ我慢なんだよなぁ。
 一ノ瀬 健太 
[ジャーナリズム4]最終的に“素人”のもとには加工された情報であるインテリジェンスが届くという構造には変わりはないのかもしれないが、仮に読んでも何にも理解できない資料であるにしても、そのソースがしっかりと存在して、そして、望めばそれにアクセスできるということは非常に大切なことだ。
 一ノ瀬 健太 
[ジャリズム3]ウィキリークスは新たなジャーナリズムのかたちを提供した。ウィキリークスはそれ事自体がジャーナリズムというよりはむしろ新たなソースの場になるような気がする。イラクに関しての40万もの資料を解読することはやはり“素人”には難しい気がするし、またそんな時間もないだろう。
 一ノ瀬 健太 
[ジャーナリズム2]ウィキリークスの登場によって本当の意味でのジャーナリズムが、人類史上初めて訪れるかも知れない。自らの良心に裏付けられた内部告発はカッコイイ、そんな価値観がしっかりと根付けば、国家権力や、巨大多国籍企業の不正に対する監視の目が十分に機能することだろう。
 一ノ瀬 健太 
[ジャーナリズム1]ネットが世界を覆い、大マスコミに挑むドンキホーテ的報道が今や、その巨人を駆逐しつつある。人間の技術のその先に、遂に本物のジャーナリズムが可能となる時代が到来した。一笑に付されていたドンキホーテが世界のメイン・ストリームとなったのだ。
 一ノ瀬 健太 
オペラ、その我が魂の甘美な泉よ!
 一ノ瀬 健太 
太陽におはよう!

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